消失する願い
ハルバードが怪我したらしい。
一兵卒が騒ぐのを聞いて、誰だったかなと記憶を手繰る。なんとなく覚えのある名前だ。
「ツヴァイ!」
呼ばれて振り返ると、オールバックの少年が大股で近づいてきた。怖い顔だ、何か怒らせただろうか。
「なんでこんなとこで突っ立ってる!みんな集まってるぞ!」
「え、俺呼ばれてな…」
「馬鹿か!呼ばれてなくても来るだろ普通!」
……若者の普通がわからない。呼ばれなければ行かないだろ、普通。
ジェネレーションギャップに戸惑っていると、早く歩けとばかりに肩を押された。
随分と力の強い子だ。
オールバックの…やたら大きな斧を持つ少年に急かされて、キャンプ中央を訪れる。簡易的な食堂も兼ねており、物資などが一番集まる場所だ。
中は人がごった返しており、すぐ隣に居たはずの少年は、いつの間にか消えていた。彼の名前も覚えていない。緑のオールバックで、左目の横に傷がある少年。最近よく、見かける気がした。
「ツヴァイ」
やたらと呼ばれる日だなと思いつつ、視線を下げる。小さい身体ながら、ピンと背筋の張った女性。
「ガルシア。すごい騒ぎだね」
「本当よ、誰かしら。情報を流したのは」
はぁ、とあからさまにため息をついて、呆れたような表情を浮かべたガルシアは、その表情に似合わず、手をギュッと握りしめていた。
--あぁ、思い出した。ハルバード。
青い髪の、赤いマントを付けた少年。
「もしかして、俺を探してた?」
ガルシアは問いかけに少し驚いたような顔をして、視線をふっと横に向けた。図星。
「ごめん、『ハルバード』が『彼』の事だと気付かなかった。場所は?」
「……ここから13km北よ。標高が高くて、地上からじゃ辿り着くまでに時間がかかりすぎる。あと10分で日没よ。行って」
わかった、という言葉は、巻き上げた風音で掻き消えたかもしれない。別にいい。ガルシアとの会話は、あまり言葉が必要なかった。
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結果として、ハルバードは助かった。
というか、怪我くらい誰だってするし、みんな大袈裟に騒ぎ過ぎだ。
たしかに、単独任務の多いハルバードは、救出が遅れれば取り返しのつかない事にもなるだろう。しかし、政府軍の頭脳とまで謳われたガルシアが、バックアップを考えていないはずがない。……まぁ、俺(バックアップ)が行方不明じゃ、意味なかったけど。
「……痛い」
「当たり前でしょ。折れてるもの。それよりハル、運んでくれたツヴァイにお礼は?」
「……ありがとう」
むすっとした顔に、思わず笑う。
「不服そうだ」
「運び方……雑すぎ……」
「ばかね。『フリーフォール』で落とされていても文句は言えないわよ。むしろハルは、1度くらい上から落とされてみれば?」
「やだ」
いやいやと首を振るハルバードは本気だが、治療するガルシアの手つきは、言葉とは裏腹にとても優しい。
寒くはないが、全身がぶわりと総毛立つ。
「あー、えーっと、俺もう行くけど」
「えぇ、わかったわ。私からもありがとう。ハル、ちゃんとお礼言いなさい」
「いいよ。気にしてないから」
というか、これ以上この場に居たくない。
甘ったるい空気から逃げ出すように、そそくさと二人に背を向ける。
全力で飛び急ぎ、昏睡した怪我人を抱えて往復した身体は、捻るとパキパキと音がした。
俺ももう若くないんだよなぁと独りごちて、すっかり日の暮れた夜空を見上げる。
星は見えない。黄砂や爆塵が空を覆ってしまっている。
今日助かった彼も、いつかは死ぬのかもしれない。今日のことは、無意味かもしれない。
「付き合えばいいのに」
ガルシアと、ハルバード。二人は恋愛関係にない。あれだけ親密でも、毎晩同じテントで過ごしても、二人はお互いを恋愛対象に見ていない。
この戦争で、まだまだ人は死ぬだろう。明日死んだっておかしくない。死はサイコロの目のように訪れる。
俺か、彼か、彼女かもしれない。誰にだって可能性はある。
ガルシアは死ぬ気だ。この戦争と共に。
ハルバードは、彼女のそれに付き合う気でいる。甘んじて道連れを受ける気だ。
何となく、そうなればいいと思った。不意に奪われるべき命ではない。二人は、二人の望む通りの終わり方をするべきだ。
どうか、サイコロの目が二人を選びませんように。
星は見えない。
暗い空は、流星もすべて、覆ってしまった。
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