苦いばかりの、

【登場人物】

フェルアータ→スターミー男性体(自宅)

フィチアータ→スターミー女性体(自宅)

スミツキ→ガブリアス♀(岸田さん宅)


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 貴族の1年というものは、いつの間にか埋められる予定表を淡々とこなし、愛想笑いとおべっかを持って、嘘と偽善でまみれた貴族同士の集まりに顔を出しているうちに終わる。

周囲の人間があれこれと指示を出してくれるから、それに従っていればすぐに過ぎ去ってしまうような僅かな時間だ。


変化は少なく、小さな出来事でさえ面白おかしく噂にされる。

だからそれも、初めて聞いた時は、尾ひれのついた噂だと思っていた。また大げさな、妬み交じりの噂かと。


―――



 この屋敷に訪れるのは初めてではない。

過去に何度か、親睦会の際に招待され、その都度予定が合えば訪問していた。

どちらかと言えば馴染のあると言って差し支えない関係であったし、歳が近いこともあって、この家の跡継ぎ二人……フェルアータとフィチアータ兄妹は、スミツキにとって『知り合い』と言うには知りすぎた関係だった。



 ……建物全体がシンとしている。

前回訪れたのはいつだっただろう。玄関までの広い敷地を歩きながら、スミツキは記憶を巡らせる。



 スミツキがこの屋敷を最後に訪れたのは、ガーデンパーティと称して屋敷の庭に屋台を集め、交流のある貴族連中を誘った親睦会だ。

数ある催しの中でもスミツキの記憶に色濃く残る思い出の一つで、晴天の中行われた気軽で開放的なパーティは、いつもの堅苦しいばかりの『貴族の付き合い』とは形式がかなり違っていた。

パーティ自体、妹のフィチアータが提案したものだったらしく、生のステージ演奏に、クラシックだけでなく巷で流行するグループバンドのバラード曲を流すなど、大人では思いつかないようなフランクさで、随分と盛り上がったのを覚えている。


 敷地内に巨大な噴水を有するこの屋敷では、自然とそこを中心にして人が集まる。晴れた日などは特に、水しぶきの涼やかな音が耳に心地よい。

兄のフェルアータが選んだという様々な国の食事やお菓子。飲み物の屋台だけでも3軒が並び、小さなお祭りほどの盛り上がりを見せた。

物珍しさにはしゃいでしまい、お皿に乗り切らないほどの菓子を集めたのが懐かしい。


 フェルアータはスミツキの行動を見ると「あまり食い意地を張るとコルセットが弾けるぞ」など言って揶揄った。初めの印象こそ、常に読めない微笑みで周囲を惑わずミステリアスな男だったが、慣れてしまえば何てことない、やっと成人を迎えたばかりの青年だった。冗談が好きで、常に妹に付き添う優しい兄だ。

妹のフィチアータは、透けるような白い肌と、よく手入れされた長い銀髪を持つ少女だ。繊細そうな見た目よりも随分快気な印象で、コロコロと鈴が鳴るような声でよく話し、よく笑った。

「まぁ、スミツキ様。そんなに持って、重くないですか?…お兄様、こういう時は普通、男性から手を差し伸べるものですよ」

「フィティ、やめろよ。言われてからじゃやりにくい」

仲の良い兄妹の会話に、スミツキが笑って茶々を入れる。

「フィチアータちゃん?あなたのお兄様はね、あなたにだけ優しいの。“シスコン”ってやつよ、シ、ス、コ、ン」

一文字ずつしっかりと区切り、わかりやすく揶揄すると、フェルアータの冷たい容貌がふうわりと笑顔に変わった。もちろん、目は笑っていないのだが。

「フィティ、行こうか。まだご挨拶回りが済んでいない」

「ちょっと!フェルアータくん、怒らなくてもいいじゃない」

完璧な所作で妹の腰に手を添え立ち去ろうとするフェルアータを引き止める。

「怒っていない。呆れただけだ。僕がフィティに“だけ”優しいのは当たり前だろう?たった一人の妹なんだから」

「やだ、開き直るのね」

「…お兄様?スミツキ様はわたくしの大切なご友人です。わたくしが大切に思うお方に、お兄様は優しくして下さらないのですか?」

「スミツキさま、皿をこちらへ。お席までお持ちしましょう」

「まぁ、ありがとうフェルアータくん」



 これがほんの、一年前ほどの記憶。



 この屋敷のシンボルとも言える大きな噴水は、稼働を止めて久しいのか、青々とした苔で覆われ、見るも無残な姿だった。

「……スミツキ様ですね。ご来訪ありがとうございます」

玄関前で、初老の使用人が頭を下げる。

「こちらこそ、突然の訪問をお受け下さり感謝します、……フェルアータ殿は…?」

「それが……今回のことで随分と落ち込んでおられまして…スミツキ様のご訪問はお伝えしておりますが、部屋に篭られて久しく、お返事も稀にしかなく…本日も出てこられるかどうか…。せっかく足をお運び頂いたのに申し訳ない」

「いえ、そんな……。落ち込んで当然ですわ」


 屋敷の中に通され、フェルアータが篭っているらしい部屋の前まで案内される。

「妹様のお部屋でしたが、今はフェルアータ様が付きっきりで。…では、何かあればお呼び下さい」

「ありがとうございます」

よく教育されているのだろう。必要以上の干渉を控える執事を視界の端で見送った。


 ふぅ、と一息吐いて、おまじないのようにヘアスタイルを整える。

わたくしが、暗い顔をしていちゃいけませんわ。


 深呼吸の後、軽く扉をノックする。

「……スミツキ嬢かな」

「っ、ええ…」

返事に、少し驚く。想像よりも穏やかで、以前と変わりない声色に聞こえた。

扉の奥で、微かに気配が動くのを感じられる。

「何しに来た?」

「何しにって……貴方たちが心配で…」

「そうか。……そうだよな。君はわざわざ足を運んでまで妹の不幸をあざ笑ったりしないだろう」

「あ、当たり前でしょう…!?どうしたの、何が……ッ!」


突然、前触れなく扉が開いた。装飾の施された豪華な扉がゆっくりと奥に引かれ、現れたフェルアータの姿に息を飲む。

「フェルアータくん、あなた……」

彼はもとより線の細い体形だったが、それでも「スタイルが良い」と言える範囲のものだった。現在はいっそ、彼こそが深刻な病症ではないかと疑うほど痩せ細り、瞳の周りは落ち窪んで酷い隈が染み付いている。

「みすぼらしい格好で申し訳ない。スミツキ様は今日もこんなにもお美しいというのに」

嫌味らしく喉を鳴らして笑う姿に困惑する。以前の彼は、こんな風に笑っただろうか。

「フィティは……妹は奥だ。見舞ってやってくれ」

招かれ、戸惑いながらも足を踏み入れた。

カーテンが閉め切られ、暗い雰囲気に顔を顰める。部屋全体に、薬品のような匂いが充満していた。

「フィチアータちゃんのご様子は?」

スミツキの問いかけに、フェルアータは首を横に振る。

「よくない。ヤブ医者共は回復の見込みもないと言っている。…大丈夫だ。必ず僕が助けてやる。だから大丈夫だ」

大丈夫、頻りに繰り返すフェルアータの姿は見ていて痛々しい。スミツキは黙して部屋の奥に向かった。


「……フィ、チアータ…ちゃん……なの…?」


用途不明の、無数の医療器具。定期的な電子音と、点滴が滴る雫の音……。その中央で、銀髪の少女が静かに座していた。

その瞳に光はなく、即座に何も映していないのだと知れる。現に、目の前に立つスミツキにも、フィチアータは反応しない。

人と言うより、美しい関節人形のような、感情のない表情。

以前のフィチアータは、スミツキの姿を見ると顔を綻ばせ、跳ねるように寄って来たのに……。


「呼びかけても応えない」

スミツキの背後で、フェルアータが静かに言う。

「噂では、フィティは心を病んで自殺未遂を犯した事になっているらしいな」

「……っ!」

本当だった。誰が言い出したのか、その噂は瞬く間に広がり、ここ最近、貴族連中が集まれば専らその話題で持ちきりだった。

フェルアータは口角を歪め、バカバカしい噂を嘲笑う。これも、以前のフェルアータの印象とはかけ離れた表情だった。

「現実を教えてやろう。フィティは、自殺未遂など起こしていない……。」

スミツキにも、そんな事はわかっていた。フィチアータは、そんな事をしでかすような少女ではないと。

「むしろ、フィティは楽しみにしていた。自分の進化――成人の儀式を。大人になるのは、誇らしい事だと、希望を抱いて臨んでいた」

フェルアータは言葉を続ける。

「そうして行われた進化の儀式で…わからないんだ、何が悪かったのか……。石との相性なのか…突然苦しみだしたと思ったら、フィティのコアが……割れた――。」

「コア…って……?」

「僕たちの中心部……普通の人間で言えば心臓のようなものだ」

フェルアータは妹の傍に寄ると、そっと髪を掻き上げた。

「フィティはコア…心の部分にダメージを受けたが、こうしてまだ生きている。大丈夫だ、僕が妹を必ず救う」


 突如、二人を襲った理不尽な不幸に、スミツキが掛ける言葉は見当たらなかった。

フェルアータが語る間、フィチアータの瞳は瞬きもせず、視線が動くことも一切なかった。ただ、人形のようにそこに在るだけ。


それは、スミツキがフィチアータの前に膝をつき、過去の思い出や、これから3人でやりたい事、明るい未来の話を聞かせる時にも変わらなかった。



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「…無理な話だとは思うけれど」

スミツキはフェルアータの瞳を真っすぐに見る。

「あなたも、あまり思いつめちゃだめよ?フィチアータちゃんを信じましょう。ね?」

「……そうだな」

フェルアータの返事は、暗かった。

誤魔化すように、フェルアータは下手な笑みを浮かべ、玄関へとスミツキを促す。

「…もう遅い、弟を呼ぶか?」

「いえ……、大丈夫よ。一人で帰れるわ」

「そうか。気を付けて帰れ」

日が沈み、夜が訪れる少し前。黄昏時の空気の中、影のない地面を見つめ、スミツキは唇を噛む。

彼女の重いドレスを揺らす風は、自慢のヘアスタイルも乱してしまった。

でも、今は、どうでもいい。



「……っ、………。」



どうして彼らなんだろう。

優しい兄妹だったのに、どうしてこんな事になったのだろう。

スミツキの瞳から、堪えきれない涙が零れた。



 どうか、あの二人に幸せを。これからの明るい未来を。

どうか、誰でも良い。二人を助けてくれるのなら――――。

スミツキの願いは、暗く染まる街の中へと消えていった。


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