空回る願い星
【登場人物】
フェルアータ→スターミー男性体(自宅)
フィチアータ→スターミー女性体(自宅)
フィレー→クレッフィ♀(にじのさん宅)
―――
カン カン ――
心の転がる音がする。
心が壊れる音がする。
―――
「フェルアータ様、そろそろご支度を」
「……わかっている」
背後から掛けられた声に、振り返る事無く返事をする。
存外冷たい声が出てしまい、息を飲んだ使用人は静かに下がっていった。
ひんやりとした白い手を撫で、長く艶やかな銀髪を耳に掛ける。どれだけ甲斐甲斐しく世話をしても、どれだけ優しく語り掛けても、妹の心は開かない。
「フィティ…フィチアータ――お前の心はどこにある……?」
ぼんやりとソファに身を預ける妹――フィチアータ。彼女が心を閉ざしてから、早1年以上が経とうとしていた。
「フィティ、僕はもう行くよ。ここで待ってて」
待っていて、なんて馬鹿げている。妹は、この部屋はおろか、一人ではソファから降りるのもままならない。どこにも行くはずはない。……物理的には。
自分が恐れているのは、妹の心が取り返しのつかない所まで壊れてしまう事だ。
だが、今の自分に妹の病状を止める手立てはない。ただ指を咥えて、妹の心が壊れていくのを見るだけだ。
「フィティ……」
細い体を抱きしめる。ぞっとするほど冷たい体は、くたりと腕に収まった。
―――
星屑を抱く者、成人の儀に水の精を受け入れよ。精霊の力と共にあれ。星は一層輝くであろう。
――我が家に代々伝わる家訓は、妹の心を破壊した。
フィチアータは一族の誰とも違う、銀色の艶髪と、青く澄んだ“星”を持っていた。
珍しいそれらは一族から好奇の視線を集めたが、フィチアータは気にしなかったし、むしろ他の者とは違う銀髪をあえて伸ばし、青い“星”も隠さなかった。
僕はそんな妹を誇りに思っていたし、純粋に、彼女の持つ異質さは美しかった。
1つ違いで産まれた僕らは、たくさん喧嘩もしたけれど、その分とても仲の良い兄妹で、いつも一緒に行動していた。
―――
「お兄様だけズルいですわ。わたくしだって早く『儀式』を受けたいですのに」
「無茶を言うなよ。お前だって、今年が終われば嫌でも『儀式』を受けられるさ」
「あら、お兄様は嫌なのですか?成人として認められる事は、とても誇らしい事ですよ?」
「嫌というか……面倒なんだ。だってつまりは『進化』するだけじゃぁないか。それを儀式儀式って……うちは考えが古すぎるよ」
「ふふっ、お兄様は現実主義者ですものね。いいじゃないですか、ロマンチックで。わたくしは好きですよ、こういうの」
1年前、妹は先に『進化』を迎える僕を羨ましがって、『儀式』に憧れを抱いていた。
水の精を受け入れる――つまり、『水の石』による進化だが、我が家ではそれを成人の儀式だと定めている。貴族家庭では稀にある形式美のようなものだ。
「さぁ、お兄様、行きましょう。新しい洋服もお似合いですわ」
「やめろよ、まだ慣れないんだから」
「ふふっ、大丈夫ですよ。本当に似合ってますわ」
僕の進化は、恙なく終わった。
1年後、妹が進化を迎える日、僕たちの人生は暗転した。
―――
――「うッ、い、痛いです……胸が…何か…ヘん……っく、うあっ……、あ゛ぁ、あ゛ああああぁ……っ!!!」
――「っ、フィティっ!!」
――「フェルアータ様!ダメです!儀式の最中に…っ!?」
――「離せ!正気か!!?今すぐ止めろッ!フィティから石を離せ!!!!」
――「儀式は試練だ…投げ出すことは……」
――「馬鹿を……っ、フィティー!!!」
進化の途中、妹の身体は「石」に拒絶反応を見せた。
妹が異変を訴えた時、すぐに止めていれば間に合ったのかもしれない。しかし、『儀式』を優先した結果、妹の身体は耐えきれず、僕たちの心臓ともいえる『コア』の部分にダメージをきたした。
青く澄んだ“星”――『コア』に、幾つものヒビ割れが走ったのだ。
その瞬間、妹の目は光を無くし、その後一切の感情を見せなくなった。
―――
僕たちはコアで星の光を集めて生きている。
妹のコアはヒビ割れてからも微かな光を放っていたが、日に日に光は弱くなり、ついにはポロポロと雫のように欠け始めた。
国中から「名医」と呼ばれる者を掻き集め、妹の治療に当たらせたが、誰一人と成果は上げられず、みな匙を投げて去っていった。
僕自身も過去の文献を読み漁り、同じような前例や治療法を探したが、何一つと手掛かりはなく……。糸の切れたマリオネットように何の感情も見せなくなったフィティの心は、僕の問いかけにすら答えない。
―――
「鍵屋?」
「はい。先週からフィチアータ様の治療に当たっている医者が…その…、少し変わった精神科医なのですが……」
「…続けろ」
「あ……。えー、そ、その方が言うにはですね、『人の心をこじ開けられる鍵屋が居る』と……」
「心?テレパスか?それならもう……」
「あっ、いえ、そういった類ではないようで、『精神の鍵を開ける』のだとか…。何やら以前に『心を開けられた人』の治療に当たったらしく、そこでその能力を知ったようで……。そして、今回のケースならフィチアータ様の心を開ける事で、今の病状が変わるのではないか、と……」
「『精神の鍵を開ける』…か。眉唾ものだな」
「し、失礼しました…っ」
「いや、いいんだ。僕もこの件に関しては散々方々を調べたが、今まで何の手がかりもない。少しでも進展するのなら十分に試す価値はある。その鍵屋の場所はわかっているのか?」
「申し訳ございません…。それがどれも噂レベルの情報ばかりで…」
「鍵屋を探す所からか……。まぁいい。詳しく話を聞きたい。その医者をすぐに呼べるか」
―――
金で雇った情報屋は、すぐに鍵屋の遡上を持ってきた。
裏社会ではそれなりに有名だったらしく、思っていたほど時間もかからず鍵屋の情報が手に入った。隠し撮りらしく、ピントの合っていない写真もある。
想像より遥かに若く、随分と可憐な少女だった。
一日の雑務を終え、部屋に戻った僕は報告書をパラパラとめくり、記された内容に眉を寄せる。
「詐欺、窃盗、住居侵入……これじゃぁただの犯罪者だな…。」
見た目からは想像がつかないが、『人の心をこじ開けて』いたのだ。犯罪者に間違いはないだろう。
しかし、医者の話やこの報告書を読む限り、たしかに鍵屋の能力は妹の症状に有用そうだ。
僕たちは命の源であるコアが完全に壊れていない限り、肉体の損傷は再生される。問題なのは心の方だ。心が死に、コアの輝きが消える時……、それこそが僕たちの死を表す。
現在、微かではあるが妹のコアは輝きを留めており、それはフィチアータの心がまだ生きている証拠でもある。
古い文献で「コアの在り方は持ち主の心に依存する」と書かれてあった。つまり、妹の心さえ治療できれば、ヒビ割れたコアが復活するかもしれない。
しかし、その治療のため、こんな犯罪者の少女の手を借りなければいけないとは……
「…なぁ、フィティ、こんな奴に頼らせないでくれ…。僕に心を開いて……僕だけに……お願いだよフィティ……」
以前と変わらず艶やかな銀髪に口づけて、いつもと変わらぬ無表情の妹を抱きしめ、僕はその夜、少しだけ泣いた。
―――
僕にとって、この少女は希望であると同時に敵である。
ボロ屋が立ち並ぶスラム街のような土地に立って、僕が周囲から浮いていることは十分と自覚していた。あまりに目立つと目的の少女が警戒して出てこないかもしれないので、細い路地に入って物陰に身を潜める。
このような場所には初めて足を踏み入れたが、心を開く鍵さえ手に入れば、今後踏み入れる事もないだろう。コソコソと隠れるような真似は屈辱的だが、今回限りの辛抱だ。
目的の少女は、それから1時間ほどで見つかった。
写真にあった通りの淡いグラデーションの髪。ゆるくウェーブしたロングヘア―をツインテールに結ぶ少女。
見れば見るほど犯罪者には見えないが、胸ポケットに入れていた写真と確認し、間違いないと確信する。
物陰に隠れたまま、少女が気付かず通り過ぎるのを待って、さりげなく視界の外から回り込む。犯罪者と対峙するのは初めてなので、念には念を入れた警戒。
背後から数メートルほど距離を空けて、声をかける。
「…ねぇ、君がフィレーちゃんかな?」
「……あァ?誰だてめぇ?どこで俺サマの事を知ったァ?」
返答に、驚く。正確には口調に。
見た目は可憐な少女なのに、口調は男のそれであった。
怯みを押し隠し、ニコリと、少しでも人好きのする笑みを浮かべる。
少女は僕の敵であるが、妹にとっては今のところ唯一の希望だ。個人的な嫉妬はなるべく押し隠しておきたかった。
「鍵を作ってほしいんだ。ねぇ、君なら出来るんでしょ?人の心を開けたいんだ」
「……どういう事情か知らねェが、いきなり現れた奴に渡す鍵はねェんだよ」
「僕さ、これでも急いでるんだ。まどろっこしい事は無しにしよう?何が欲しい?お金なら幾らでも払うよ?」
「言ってんだろォ、事情もわかんねェのに…、」
「あぁ、そうだ。」
乗り気でない少女の台詞を遮り、自分の言葉を先に被せる。
「ねぇ、こんなボロ屋、土地も悪いし、住みにくいでしょう?僕が新しい家を用意してあげる。大丈夫、コネは色々作ってあるんだ。すぐに引っ越せるよ。君は新しい大きな家に住んで、僕は鍵を手に入れる。どう?いい条件じゃない?」
釣れない反応の少女は、あからさまに溜息をつき、言い聞かせるように吐きだした。
「しつこいぞォ…俺サマはそんな事でほいほい仕事を受けたりしねェんだよォ」
「そんな事……?ねぇ、フィレーちゃん?いい加減にしてよ……僕、急いでるって言ったよね…?」
イライラと、怒りが自分の中に溜まっていく。
僕ではダメなのに。妹は、僕に心を開いてはくれない。だから仕方なく、少女の手を借りて……
「おいィ、クソ野郎、俺サマの事を誰に聞いたか知らねェが、生憎あんたが思うほど安い仕事はしてねェよォ。さっさと帰んなァ」
少女と似合わないその口調が、僕の苛立ちを押し上げる。
何故、この少女なのか。何故、僕じゃダメなのだろう。本当は医者だって、鍵屋だって、誰の力も借りたくない。妹を助けるのは僕でないとダメなんだ。
たった二人の兄妹だから。…なのに、なのにどうして、僕は少女の手を借りようとしているんだろう。こんなにも断われて、だいたい、どうして少女は断るのだろう。こんなボロ家に住んでいて、どうしてそんなに澄んだ目ができるのだろう。何故、何故?
「どうして。どうして、どうしてどうして!!僕が!この僕が、こんなにもお願いしているじゃないか!君は僕にこれ以上の負けを認めさせたいのか!?」
「あァ?何の話だよ……」
「許さない……許さない……絶対に…」
何故、何故僕じゃないんだ。いったい、何故。
その言葉ばかりがぐるぐると回って、周囲の雑音や景色も遠くなる。
いつの間にか少女が目の前にまで近付いていて、ぎょっとした時にはすでに、淡い光が僕の周りを包んでいた。
「おォい、クソ野郎、……帰って寝てなァ。二度と俺サマの前に現れるなよォ?」
その光が少女の髪から生じたものだと気付いたと同時に、僕の意識はブツリと途切れた。
―――
気付いた時には、自室のベッドで眠っていた。
夢の可能性を疑ったが、自分の身に染みついた馴染のないスラムの臭いが僕に現実を突きつける。
断られてしまった。
「ふふっ、ははは…!」
胸ポケットの写真を取り出す。
淡いグラデーションのツインテール、黒の大きな瞳、少女のようないでたちに、乱暴な男勝りの口調。
「フィレー=B=フライウング!!能力は本物だった!!」
断られた?
それがどうした。
僕は、妹のためになら何だってすると決めたじゃないか。
「必ずその能力を手に入れる……。必ず…僕がフィティを救うんだ……僕が……」
―――
カン カン ――
心の転がる音がする。
心が壊れる音がする。
フィチアータのコアは崩れてゆく。
ぼくが、かならず、たすけなければ……。
―――
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